影向寺史発刊にあたって(著 亀ヶ谷利男)
私達は歴史の話になると、まず奈良や京都の史実に話題が集中します。少年期にそうした歴史の勉強をして育ったので、至極あたりまえの話であり、日本歴史の発祥は、奈良や京都から始まったものと信じておられる方が多いように見受けられます。しかし、本当にそう信じてよいものでしょうか。
往古、奈良や京都以外の日本の各地にも大勢の人達が住み着き、それぞれに生活をしておりました。これら人間のすべての生活は、歴史の中に生まれ、また築かれてきたといえましょう。
その昔、多摩川や荒川がつくった武蔵国や現在の川崎市域の平地や台地にも、私達の祖先が定住していて、原始狩猟の時代から古代文化の時代、そして武士の世を経て近代に至るまで、歴史は人間が生活をしているところのすべてにわたって繰り広げられてきたといえましょう。言葉を変えれば、私達の祖先や先輩の一人一人が歴史を担い、歴史を作ってきたということも可能です。
最近、 地方からの歴史 という地方史の研究発表が盛んとなってきました。非常に喜ばしい傾向でありますが、私は当然のなりゆきだと思っております。つまり日本の歴史は、かぎられたごく一部の地域にのみ存在するものではなく国中のいたるところに存在し、現在に継承されてきたものだからです。
私達が郷土の歴史を調べて理解することは、郷土の将来の発展のためには大切なことであります。すなわち、理解するということは、郷土愛に繋がることだからです。
私は歴史に興味をもち、戦争中から現在まで四十数年間、なかでも郷土史には関心を寄せ、旧家の古文書類などは随分とたくさん拝見させて頂きました。そして川崎市宮前区に位置する影向寺の重要文化保存会に籍を置くようになってからは、一段と熱心に取り組むようになりました。四十数年間、新聞等に掲載される歴史関係資料は殆ど切り抜いて整理したり、暇をみては日本各地の名所・戸籍の探訪に飛び回るなど、多少趣味の範囲をはずれた行動をするようになってしまったようです。
本書はそうした行動や調査の中で得た某旧家に従古より門外不出の古文書として保管されてきた古文書類を基幹とし日本歴史書や市販の歴史参考書類とも対比しつつ、古代武蔵国橘樹郡を中心とした当地方に関係のあった史実を記し、影向寺に伝わる縁起文の信憑性に迫り、また今まで知られていない史実を発表することといたしました。これらの史実の中には「まさか」と驚かされる資料も幾つかあろうと思っていますが、史料には出展を明らかにするとともに、確信の持てない部分については仮説として問題提起する形態をとってあります。この仮説も一応の自信を持って発表したわけですが、なお一層今後の調査が望まれます。
現在の日本の歴史は、国書によって整備されておりますが、半面、不可解な面のあることが指摘されていることも事実であります。
大和政権の力がさほど強大でなかった初期の日本は、各地に勢力を張っていた地域豪族首長達の連合体によってバランスが保たれていました。そして年を経るに従い勢力を伸ばしていった大和政権のもとに徐々に統一され、やがて大和王朝の完全な律令体制の中に収められるようになると、王朝は祖霊の歩いた史実等を後世に伝えるために系図や史実を記録させる努力をしました。この記録が日本歴史の原点となったように思っています。
さてこうした日本の歴史の中で、史実として何にも取り上げられてはいませんが、初期日本の地域連合体政権時代の関東、特に武蔵国を中心とした地域首長達の果した役割は非常に大きいものがあったと私はみています。極論すれば、大和政権の確立は、実は関東首長国連合体のリードによって達成されたのではなかろうか、と推察しているのであります。何故このように大胆な提言が可能かといいますと、初期大和王権時代の日本の政治、経済、文化、外交等の主役として登場する歴史上の人物の相当数の人達は、関東地方の出身者だったと見られるほかに、仏教を最初に受容したのも関東方面であること、なおそのうえに、野川の地に勅願寺を創建された聖武天皇朝頃まで、大和王朝はことあるごとに関東に依存する政策をとってきたこと等を見ても納得がゆくのであります。この時代までの大和王朝の歩みをみる時、日本文化の中心はまさしく関東だったといえますし、関東には秘められた何かがあったと推測できます。
その後大和政権の確立とともに政治の舞台は畿内地域へと移行したのであります。
やがて二十一世紀を迎えようとしている現在、邪馬台国論争はその地を廻って華やかに展開されています。勿論結構なことだと思います。しかしそれと同時に、私は古代東国吾妻国に秘められた未知のロマン究明について広く世論を盛りあげて調査研究することもわれわれに課せられた大きな使命だと考えております。
本書には、このような意味合いがこめられているほか、昭和六十四年に完成する影向寺薬師堂(県重要文化財)昭和大修復工事完成落慶記念行事の一環として、私的発刊を企画いたしましたものであります。既に作品内「縁紀文」については、昭和六十一年元旦付で巻物として完成、同年五月に開催いたしました個展において発表ずみであります。
なお、執筆にあたりましては多くの参考書を利用させて頂きました。また、長年の調査において冷泉孝祐氏にはひとからならぬお世話になりました。御芳名を明記して深く感謝申し上げます。
昭和六十三年六月 亀ヶ谷利男